会社沿革
会社設立からの主な出来事
昭和21年 | 戦後間もなく当社創業者、桃川龍朗が新潟県柏崎より東京に上京し広告業を開始。 |
昭和26年5月9日(1951年) | 新宿区四谷にて桃川龍朗が国鉄(現JR)広告の取次及び掲出代理業務を主体として株式会社に組織変更、株式会社東西社を設立 |
昭和26年 | 第一相互銀行、店舗看板受注。 |
昭和27年 | 創業者が警視庁より依頼を受け信号機を設置する為の費用を捻出する為、信号機への広告取付を受託。 |
昭和29年 | 桃川龍朗、朝日酒造株式会社より受注開始。 |
昭和29年 | 上野駅ホール、東京駅などに「朝日酒造株式会社」「日本火災海上保険」の広告を掲出 |
昭和34年 | 千代田区神田神保町へ移転 |
昭和34年 | 東京駅八重洲通りへ「皇太子殿下(現・天皇陛下)御成婚を祝して「小野田セメント株式会社」「日本火災海上保険」時計塔を建立 |
昭和34年 | 朝日酒造、新宿与三郎ビル(歌舞伎町)屋上ネオン塔竣工 |
昭和39年 | 第二代、代表取締役に桃川龍一が就任 |
昭和39年 | 新潟地震により萬代橋際に建てたネオン塔が破損、その後復興の思いを込めて日本ビクター株式会社様などの広告を誘致 |
昭和39年 | 東海道新幹線、営業開始。その後、当社も広告枠の取り扱い開始。 |
昭和43年 | 日本火災海上保険、営業所ネオン塔設置 |
昭和45年 | 東京駅丸の内ホールへ富士通株式会社、「岡田紅葉」作「富士山」の写真を使用して広告を掲出 |
昭和47年 | 富士通株式会社、沖縄返還前に当地へ屋上ネオン塔竣工 |
昭和50年 | 東鉄広告協同組合(106社)の監事に桃川龍一就任 |
昭和53年 | 千代田区神田鍛冶町へ移転 |
昭和54年 | 椿山荘、江戸川橋ビル(江戸川橋交差点)屋上ネオン塔竣工 |
昭和59年 | ワシントンホテル株式会社、新幹線駅へ広告を掲出開始 |
昭和63年 | 石和写真美術館、屋上ネオン塔竣工 |
平成元年 | 第一相互銀行普銀転換の為、太平洋銀行へ改称に伴い、全店舗看板受注 |
平成4年 | 太陽神戸三井銀行、さくら銀行へ改称に伴うサイン変更を受注 |
平成8年 | 太平洋銀行救済による、わかしお銀行へ改称に伴い、全店舗看板受注 |
平成13年 | 日本火災海上保険・興亜火災、合併(日本興亜損害保険)に伴い、全国各地の支店・支社・営業所のサインを変更 |
平成14年 | 第三代、代表取締役に古川敏男が就任 |
平成14年 | 千代田区神田須田町へ移転 |
平成14年 | 安田火災海上保険と日産火災海上保険が合併(損害保険ジャパン)に伴い、各地のサインを変更 |
平成15年 | わかしお銀行、三井住友銀行へ統合に伴い、全38店舗看板受注。 |
平成15年 | 朝日酒造、新宿与三郎ビル(歌舞伎町)屋上ネオン塔大規模デザイン変更 |
平成16年 | 明治生命保険と安田生命保険が合併(明治安田生命保険)に伴い、各地のサインを変更 |
平成16年4月 | 東鉄広告協同組合が交通広告の発展、価値向上を目指す為に解散、東日本鉄道東京広告会へ継承と共に当社も加盟 |
平成18年 | 東急スポーツオアシス、複数店舗開業に伴う、開業告知、店舗サインなどを受注 |
平成23年3月 | 東日本大震災後、明治安田生命・日本興亜損害保険の損壊した営業所の移転サイン工事を行う |
平成23年4月 | 武蔵野総合病院(川越市)、屋上広告塔竣工(省エネを考えた4面部分LED内照看板) |
平成24年4月 | 千代田区内神田へ移転 |
平成24年~平成26年8月 | 日本興亜損害保険、損害保険ジャパン統合に伴う、共同化サイン工事、統合時サイン工事を受注 |
平成28年9月(2016年) | 第四代、代表取締役に古川正明が就任 |
令和2年10月(2020年) | 台東区蔵前へ移転 |